印象派 反対とは?当時の批判理由と評価が変わった歴史的背景を解説

あなたは美術館で印象派の絵画を見て「美しい」と感じたことはありませんか?

結論、印象派は当初、批評家や美術界から激しく反対され批判されていました。

この記事を読むことで、なぜ印象派が反対されたのか、そしてどのように評価が変わっていったのかがわかるようになりますよ。

ぜひ最後まで読んでください。

1.印象派が反対された理由と時代背景

1.印象派が反対された理由と時代背景

サロン・ド・パリが求めた絵画とは

19世紀のフランスでは、王立芸術アカデミーが年に一度開催する「サロン・ド・パリ」が画家の登竜門でした。

このサロンの審査に通過し、作品が展示されることが一人前の画家になる条件だったのです。

サロンでは、15世紀のルネサンス画家ラファエロのような写実的な絵画を理想としていました。

具体的には、遠近法を使い、境界線や影をはっきりさせ、人物や空間を細かく写真のように描く作品が求められていました。

また、歴史や神話、聖書を描いた「歴史画」が高く評価され、風景画や静物画は低俗とされていたのです。

「印象・日の出」への酷評の内容

1874年、クロード・モネが発表した「印象・日の出」は、第一回印象派展で激しい批判を浴びました。

批評家ルイ・ルロワは風刺新聞「ル・シャリヴァリ」で酷評を書きました。

「まったく印象しか受けなかった。描きかけの壁紙でさえ、この海景に比べればずっと出来上がり過ぎている」という辛辣な言葉が残されています。

ルロワは、モネの絵画はせいぜいスケッチであり、完成した作品とは言えないと批判したのです。

この批評が皮肉にも「印象派」という呼称の由来となりました。

写実主義と印象派の決定的な違い

当時のアカデミーが重視したのは、細心に仕上げられた写実的な絵画でした。

画家の手描き跡が見えないように、細かくブレンドされた正確なストロークで描かれた作品が好まれました。

色彩は抑えられ、金のワニスを施すことでさらにトーンダウンされていたのです。

一方、印象派の画家たちは明るく鮮やかな化学絵の具を使用し、筆のストロークを隠さずに描きました。

また、戸外制作を中心として、光の変化や瞬間の印象を捉えることを重視しました。

これは伝統的な絵画の価値観とは正反対のアプローチだったのです。

なぜ「印象派」は悪口として生まれたのか

「印象派」という言葉は、もともと嘲笑と軽蔑の意味を込めて使われた悪口でした。

批評家たちは、印象派の作品を「風景ではなく印象しか描かれていない」と批判しました。

当時の人々にとって、具体的な事物を綿密に表現するのが絵画の役割だったのです。

モネが具体性を捨てて大幅に抽象化し、光や空気、印象を主題としたことは理解されませんでした。

しかし、画家たち自身がこの呼び名を受け入れ、誇りを持って使うようになったことで、印象派は新しい芸術運動として確立していきました。

2.印象派への批判の具体的な内容

2.印象派への批判の具体的な内容

批評家ルイ・ルロワによる批判

ルイ・ルロワは1874年4月25日、「ル・シャリヴァリ」紙に批評記事を掲載しました。

記事の中で彼は、見物客どうしの会話形式を借りて印象派を痛烈に批判しました。

「この絵はいったい何を描いたのかな」「印象!もちろんそうだろうと思ったよ」という皮肉な会話が記されています。

彼の批判の核心は、印象派の作品が未完成で粗雑だという点にありました。

「その筆使いの何たる自由さ、何たる奔放さ」という言葉には、明確な否定的ニュアンスが含まれていました。

「未完成」「スケッチ程度」と見なされた理由

当時の保守的な批評家たちは、印象派の作品が未完成でスケッチのような外観をしていると批判しました。

伝統的な絵画では、筆跡を残さず光沢のある画面に理想美を描く画法が規範とされていました。

印象派の画家たちは、細部を緻密に描くことよりも、絵画全体を見たときに起こる視覚効果を重視しました。

そのため、近くで見ると筆のストロークがはっきりと見え、完成度が低いと判断されたのです。

当時の一般人の目には、何を描いているのかわからない未完成の絵に見えたのです。

筆触を残す技法への否定的な反応

印象派の特徴的な技法の一つが、筆触分割と呼ばれるものでした。

これは、色を混ぜ合わせるのではなく、一つ一つの筆触が隣り合うように配置する技法です。

原色や原色に近い色をカンヴァスに置いて色彩を再現するこの方法は、当時としては革新的でした。

近くでは筆触が目に入りますが、離れると明るい色彩が得られるという効果があります。

しかし、写実的な絵画が主流だった当時において、筆触を残した作品は中途半端と見られていたのです。

日常風景を描くことへの低評価

印象派の画家たちは、宗教や神話ではなく、日常の風景を描きました

自身が滞在した場所や故郷の風景、身近な家族や恋人が登場する作品が多かったのです。

当時のアカデミーでは、古代ローマの美術を手本にして歴史や神話、聖書を描いた「歴史画」を高く評価していました。

そのため、日常生活や郊外の風景といった身の回りの題材は低俗とされていました。

印象派が描いた近代化されたパリの街並みやカフェの様子、踊り子や競馬場のシーンは、芸術的価値がないと見なされたのです。

3.印象派の評価が変わった歴史的経緯

3.印象派の評価が変わった歴史的経緯

画商デュラン・リュエルの役割

印象派の評価転換において、画商ポール・デュラン・リュエルの果たした役割は極めて重要でした。

彼は、印象派の画家を評価し作品を購入し続けた唯一の人物だったと言われています。

当初、フランス国内では全く売れなかった印象派の作品を、彼は信念を持って買い続けました。

デュラン・リュエルは、自分が所蔵していた絵画を片手に新興国アメリカに挑戦しました。

この決断が、印象派の運命を大きく変えることになったのです。

アメリカ市場での成功

デュラン・リュエルの行動が奇跡を起こしました。

酷評されていた絵画たちがニューヨークで受け入れられたのです。

アメリカでは、宗教色の弱い自然や農村や都市の生活といった日常的な主題が好まれました。

特に、プロテスタントやユダヤ教徒が中心のアメリカで、印象派の作品は特に受け入れられやすかったのです。

他国で大成功をおさめたことをきっかけに、パリでも印象派が少しずつ日の目を浴びはじめました。

ブルジョア市民層の支持獲得

印象派は登場当初、芸術アカデミーに評価されず、絵も売れませんでした。

しかし、次第に金融家、百貨店主、銀行家、医師、歌手など一般ブルジョア市民層の間で支持されるようになりました。

当時のフランスは、フランス革命後の近代化が進む時代でした。

庶民の所得や文化も発達し、国家ではなく個人が力を持つ、自由な個人主義の時代へと進んでいました。

そのため、高額な絵画が民間の中で取引できるようになり、国家から距離を置いた印象派が評価され始めたのです。

1890年代以降の評価の高まり

1891年、モネが発表した連作「積み藁」が評価されました。

1892年にはルノワールの個展、1895年にはセザンヌの個展も開催され、いずれも大盛況となりました。

批評家や権威者が印象派のやり方を認めなくても、新鮮でオリジナルなモノの見方をしていると評価され始めたのです。

より進歩的な作家は、適切なスタイルで現代的な主題を革新的に描写した印象派の作品を称賛しました。

エドモンド・デュランティは1876年に「新しい絵画」と題したエッセイで、印象派を絵画の分野における革命的な変化と見なしました。

近代美術の主流としての確立

その後、印象派の価値は少しづつ高まり、世間に受け入れられていきました

細部の輪郭を見るのではなく対象自体を見る感覚を取り戻し、技法と表現の創意工夫で印象派は発展しました。

印象派は、新印象派、ポスト印象派、フォービズム、キュビズムのイノベーターになりました。

現在では、モネの風景画やルノワールの裸婦像などが代表的な印象派作品として世界中で愛されています

印象派が西洋近代絵画史の主流として確固とした地位と人気を確立しているのは疑いえない事実です。

4.印象派が後世に与えた影響

4.印象派が後世に与えた影響

ポスト印象派への展開

ポスト印象派は、印象派の成果を受け入れつつ、他方では反対しながら印象派を超克しようとした画家たちを指します。

代表的な画家としては、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌなどがいます。

彼らは、印象派の傾向を出発点としながらも、批判的に継承しつつ、独自の特徴を生み出しました

具体的には、厳密な形態の復活、原始的な題材や激しい色彩の導入などが特徴です。

ポスト印象派は、19世紀の美術と20世紀の美術との橋渡しをしたと言えます。

新印象派などの芸術運動への影響

新印象派はジョルジュ・スーラが確立した芸術様式です。

スーラは、印象派の経験的で直観にたよった色彩表現や筆触を、より科学的で正確な色と色彩の表現にすることを追究しました。

印象派の筆触分割を科学的に徹底させた点描主義が生まれました。

また、フォービズムやキュビズムなど、20世紀初頭の前衛絵画運動にも影響を与えました。

印象派の「確立された芸術的規範の拒絶、新しい技術やアイデアの取り入れ」という姿勢が、後世の芸術家たちに大きな影響を与えたのです。

現代における印象派の人気

現代では、印象派は日本はもちろん世界でも人気の高い絵画ジャンルの一つになっています。

日本でも大きな美術館で「印象派の画家」「印象派展」など展示会が頻繁に行われています。

印象派の絵画は、光の動き、変化の質感を表現し、絵全体が明るい色彩に富んでいることが魅力です。

2024年には印象派誕生から150年を迎え、世界各地で記念展が開催されました。

瞬間の光と色の美しさを捉えた印象派の作品は、150年経った今もなお、多くの人を惹きつけてやまないのです。

まとめ

この記事のポイントをまとめます。

  • 印象派は当初、サロン・ド・パリの審査基準に合わず激しく批判された
  • 「印象派」という名称は批評家ルイ・ルロワによる悪口が由来である
  • 写実主義が主流の時代において、筆触を残す技法は未完成と見なされた
  • 日常風景を描くことは低俗とされ、歴史画や神話画が高く評価されていた
  • 画商デュラン・リュエルがアメリカ市場で成功させたことが転機となった
  • 1890年代以降、ブルジョア市民層の支持を得て評価が高まった
  • 印象派は新印象派、ポスト印象派など後世の芸術運動に大きな影響を与えた
  • 現代では西洋近代絵画史の主流として確固たる地位を確立している

印象派の歴史を知ることで、美術作品の見方が変わるかもしれません。

次に美術館を訪れた際には、印象派の画家たちが乗り越えてきた困難を思い浮かべながら作品を鑑賞してみてください。

きっと新しい発見があるはずです。

関連サイト

オルセー美術館公式サイト

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